日日是好日

にちにちこれこうじつのあなたに

私のおじいちゃん

 おじいちゃんが死んだ。

 お通夜もお葬式も終わったし、最後のお別れもしたけれど、その時のおじいちゃんの家はまだ賑やかだったので、いなくなった実感はほとんど無い。こういうことを書いていると泣けてはくるけど、気持ちの整理をしたいと思う。

 おじいちゃんはおばあちゃんのことが大好きで、大柄で厳しい人で、でも笑顔が可愛く、私の道徳みたいな人だった。ほんとに良いおじいちゃんだった。

 人への感謝をちゃんと口にする人で、仕事に誇りをもっていて、家族を大事にし、地元を大事にし、曲がったことが嫌いで、勤勉であり、享年88歳だったけどPCも携帯のメールも使えておりしっかりしていた。おじいちゃんに恥じないように生きなければなと思う。人に迷惑をかけないように、私も大切にしていることだけど、これはおじいちゃんから教わったことだ。

 年に数回は会っていたが一緒に暮らしたことはなく、でも元気だったから、いつでも会えるなと思っていた。数年前から血液検査の数値は悪かったが、悪いところで止まっていた。大好きな中華料理屋さんにはなかなか行くことが出来なくなっていたが、元気は元気で、変わらず会いには行っていた。(その中華料理屋さんは残念ながら数年前に無くなった)

 変化があったのは去年の夏。肝性脳症となり入院、もう危ない、と医者から告げられる。何度もお見舞いにいって話したけれど、疲れやすく、一通り話すと眠そうにしていた。幸いなことにここで持ち直すことが出来、家に帰ることが出来た。

 家が大好きな人だったから、家に帰ることができて本当に良かった。週4の点滴やおばあちゃんのものすごく献身的な介護の元、大好きな家で過ごすことができたおじいちゃん。お父さんもお母さんも叔母も叔父も出来る限り協力していた。私も何度も会いにいき、その度に色々な話を聞くことができた。仕事の話や、どんなところに旅行にいったか、住んでいる町がどう変わったかの話、出来事も名前もすぐに出てくるものだから記憶力に脱帽する。きちんとアルバムに整理してある昔の家族の写真を見たのも、この時が初めてだった。

 いつでも会える、というのは確かにそうだ。ただ私は、こういう状況がなければここまでおじいちゃんと話す機会を持つことができなかったと思う。おじいちゃんが一度入院してもしかしたらという状況になり、そこで頑張って家に帰ることができたから、後悔しないようにいっぱい会っておきたいと思った。

 おじいちゃんおばあちゃんが、こんな機会を作ってくれた。なんてできたおじいちゃんなんだろうね。もちろんおばあちゃんは介護が大変だったと思うけど、でもお互いにお互いのことが大好きなんだなあって、見てて凄く感じた。人のことをいつも考えて、人に迷惑をかけないように事前準備にぬかりがない。私たちにこんな機会を作ってくれてありがとう。

 たぶんあと1週間やから、離れんように言うてくれ、ってよくその通りになるもんだ。最後に孫に笑いかかけて、凄いね。悲しいなあ。